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末広がり

八は末広がりでなんだかおめでたい、ということで、8月8日に入籍した。

2001年の8月7日の夜遅くに東京について、そのまま区役所へ行って、日付が変わってから婚姻届を出した。

それから16年、式も挙げず、子もおらず、しんどい時間もあったけど乗り越えて、今二人でいることが当たり前に面白いのが最高にありがたい。ありがとう。

 

 

大阪を発つ前日、家の中に嵐が吹き荒れた。

部屋で一向に片付かない荷造りをしていた私の耳に、突然飛び込んでくる悲鳴のような叫び声。自分が一家の精神的大黒柱であることはうっすら自覚してたけど、いざそれが抜けるとなった途端、あっさり家族は崩壊した。

私だってずっと我慢してきたのに! と泣きわめく義妹、だって好きな人ができたから仕方ないと開き直る弟、事態を収集する術を見いだせず、弟夫婦が離婚するならお父さんたちも離婚すると意味不明なことを言い出す義父、そしてただただ泣き崩れながらなぜ突然こんなことになったのかわからず右往左往する母。

ひとりひとりを捕まえ、語り、諭し、とにかく全員に冷静になれと言って聞かせる。弟と義妹には、夫婦であり続けろとは言わない、ただこの家の「家族」として、両親を納得させてから事を進めろと伝え、どうにか首を縦に振らせた。

そのことを母に伝えると母はウンウンと頷きながらも「でもお父さんが別れるって、お母さんどうしたらいいの」と泣きじゃくっていた。甘えん坊で末っ子気質で、自分の恋愛感情を御せない思春期の少女のような母。わたしはこの母が大好きで、でも同時に大嫌いだと思うこともたくさんあった。彼女にとっては、いつも何よりも「夫に嫌われないこと」が最優先だったからだ。

家族にとって最低の悪手を打った義父は、ふてくされたように真っ暗な部屋でベッドに横になっていた。その、頼りない後ろ姿。思えば当時の父は、今の私より7つも若い。20歳で二児の子を持つ親となり、自分の思い描く理想の父親であろうとして頑張ってくれてはいたけれど。体罰で躾けようとしたり、常に亭主関白であろうとしたり、おそらくは彼の実際の年齢には不相応であったであろうその努力は、子どもの目から見ても明らかにちぐはぐなものだった。

お父さん、と声をかけると、義父は振り返りざまに絞り出すように言った。

「お姉ちゃんがお嫁に行く。これでもうお父さんの仕事は終わった」

「何言うてんの、一番大切な子がまだおるやんか。しっかりしてよ、あの子をちゃんと育てるまでがパパの仕事やよ。お姉ちゃんからの最後のお願い」

私を抱きしめて離さない義父の背を撫でながら、小さな妹のことを思う。毎夜、お手洗いに行きたくなると、彼女は私の部屋をノックして起こした。私は眠い目をこすりながら彼女をおんぶして階下におり、用が済んだら、また彼女をおぶって部屋に連れていって寝かせた。私が居なくなったら、あの子は夜中にひとりでトイレに行けるのかな。もう行けるんだっけな。

そうして全員を宥めすかし、ぐったり疲れて自室に戻ると、妹がいた。まだ小学生の彼女は、騒然としたこの屋根の下でひとり、泣きもせずに淡々と私の荷造りを進めてくれていた。私は、何よりも、この一回り年下の妹を置いていくことが、一番の心残りだった。私が居なくなったら、いずれこの子が「大黒柱」を肩代わりする羽目になるのだ。

友だちを家に連れてきてワーワー遊んでいるかと思ったら、突然ドアを開けて私の部屋に入ってくる。かくれんぼか何かかと見ている私を尻目にベッドにパタンと横たわるので「どしたん?」と聞くと、「ちょっと疲れた」と。そんな彼女がこの先、果たして愛憎に潰されず、この家に居続けられるだろうか。

翌日の夕方、新幹線のホームで、家族全員に見送られた。昨日の夜の出来事が嘘のように、ひとりひとりとハグし、涙ながらに笑い合い肩を叩き合った。最後に妹が差し出してくれた小さな箱には、生まれたばかりのジャンガリアンハムスター。新しい生活が寂しくないようにと、照れくさそうに。本当に最後の最後まで、妹は私にひたむきでいてくれた。

窓から見える、手を振る最後の家族の姿は、写真のように私の心に残っている。残して去ることへの申し訳なさと愛おしさと、妹が、私の妹として生まれてくれた奇跡への感謝とで、私の大阪生活は終わった。

新幹線の車内からメールをすると、東京で待つ彼は、ただ一言こう返信をくれた。

 「全部おいで。待ってるから」

あれから16年。指標になるのは、出てきたお腹とそろそろ見え隠れするようになった白髪くらいだけど、一緒に積み重ねてきた年月は、確かにここにある。

ついに妹も結婚した。今も大阪にいて、母と一緒に暮らしている。義父は、数年前に母と別れた。生きてはいるけれど、どこで何をしているかは知らない。弟は相変わらずだ。でも義弟くんが、妹のことも母のことも心底から大切にしてくれている。妹が、彼女に相応しい人と結婚できて、本当に良かった。

大阪と東京、離れていても、どんな場面でも、妹がいつも私の心を守ってくれた。この日を迎えるたびに、夫への感謝に劣らず妹への思いが募る。彼女が居てくれたからここまで来られたのだ、と。

その彼女に、私がこれまで何をどれほど返せたかはわからない。でも私は、妹にとって、最強の味方でありたい。彼女がいつも、私にとってそうであったように。

私も、妹も、決して楽なことばかりではない人生を生きてきた。悩みはいつだっていくつもある。けれど、ちゃんと幸せだ。

 

いつだってそう言えるように、歩んで行こう。今も、これからも、何があっても。